2001年07月18日

虚実の交わり

本日、学いこを見て爆笑。
脳があまり動いていないのを感じる。
懸念すべきこととしては「まぁくん老けたな」だの「短髪は好きだが、オーバーthe眉毛はどうか」といった程度のことで、基本的には何も考えずに「佐藤部長サイコー」「スーさん笑顔可愛いじゃん!」と笑う。

ほぼ一時間後、『救命病棟24時』を見て号泣。
末期ガンで家族にも見放されたお婆さんが、研修医の田畑智子につらく当たったことを詫び、隣のベッドの幼児の回復を祈って死んでゆく。
そして小日向文世の「静かに見送るという治療もあるんだよ」という言葉、冷静に死亡確認をする田畑智子の姿に涙が溢れた。
一方で「田畑智子って面白い顔で可愛い、超好み」「伊藤英明、江口洋介に似てるぞ。せめて髪切りゃいいのに」などとも考えている。
結局脳はあんまり動いていない。


ドラマ、映画、演劇、小説、漫画等、創作された虚の世界に触れるとき、自らの背負う実の世界との集合を思い浮かべる。
数学が苦手なので何だかよく覚えていないけれど、あの、楕円系が2つ並んでいるあの図。
あの交わっている部分がどのくらいの割合だと気持ち良くなれるんだろう。
10%から30%くらいだろうか。
半分超えてしまうと、多分つらくて見られないし、少なくとも愉快ではないだろう。
始まりと終わりが必ずある「ストーリィ」には大抵の場合、不愉快なエピソードが含まれている。
そこで自分の不愉快な想い出を掘り起こされる。
掘り起こされるような不快な出来事ならまず不快なまま終わっていることが多い。
ストーリィが幸せな結末を迎えようと、苦しいままで終わろうと、自分の中ではもうどうにもならないのだから、苦さばかりが残る。

かと言って、交わる部分があまりにも少ないのでは、心の深部には響かない。
深部への影響なくして人を感動させられるのは、ものすごく出来の良いエンタテイメントで、それはそれでとても価値が高いと思うし、私は好きだけれど(食べるだけで幸せな気分になれるお菓子みたいで)。


だけど多分、人間の心の中には、虚実の交わりを心地好いパーセンテージに抑えるフィルターがある。
私もこの年齢になれば、身近な人を病で亡くす経験も持っているが、今日『救命病棟24時』を見て流した涙は、そこまで重要な記憶を引っ張り出して流したものではなかった。

大人になるほど、そのフィルターの機能は高く、強くなっていく。
フィルターを整備しバージョンアップしていくことこそが「大人になる」ということなのかもしれない。

それでもたまに、そんなフィルターをぶち破って針を振り切って感じたくないところまで強引に鷲掴みにしていく創作物がある。
最近の私には『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がそうだったのだけれど。

十代の頃のような感受性剥き出しの状態にはもうなれないのだから、たまにドカンと力のある創作物に触れてみたいと思う。
うん、1年に1度くらいなら。
posted by あーこ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0)
★映画/舞台/ドラマ★
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